食べながら…。ねっ転がりながら…。
襟をただしながら…。パクパク食べながら…。書をひらく。
◆Archives
・Read Book 2012① ・Read Book 2011~2012
・Read Book 2011⑤ ・Read Book 2011④
6/23 2013
「AERA 2012年12月31日&1月7日」
朝日新聞出版
◆森喜郎「履歴書」のあけすけ
1969年32歳で衆院初当選。岸派を源流とする故・福田赳夫元首相の清和会に入る。
まるでドラマ「どてらい男」政界版のようだ。初当選後に上京、故・田中角栄幹事長に
挨拶するや、「少ないが取っておけ。選挙の後始末は大変だろ」と新聞紙に包んだ
札束を差し出される。夕方福田邸を訪ねると、福田氏は森氏を上座に座らせ当選を
祝ってくれたが、内心期待した金一封は出なかった。
意外なのは、「私は世襲が嫌いで、息子を後継者とは考えていなかった」との記述。
元秘書の長男は石川県議在職中の10年8月に飲酒運転で事故を起こし県議辞職。
間もなく病で死去した。森氏にとって、実はそれが一番言いたいことだったのかも
しれない。
6/23 2013
「AERA 2012年12月24日」
朝日新聞出版
◆野球 大谷口説いたハムの勇気
日本ハムGM 山田正雄の忘れられないひと言がある。山田に単刀直入に尋ねたのだ。
「世間で言われているのような勝算はあったのですか」とすると、笑って否定した。
「ないない。全然ないよ。」「しいて言えば…勇気かな」~とても20年以上スカウトの
世界にいる人物の言葉には思えなかった。だが、そのときの空気感、山田の口調から察して
言葉には嘘はないと感じた。~最後はそこだったのではないか?山田が発する
勇気という言葉は、「公正」であるというニュアンスを含んでいる。~~~
日本ハムが大谷に渡した「夢への道しるべ」という資料が翻意の決定打になったとの見方は
あまりにも浅薄だ。~大谷は指名する「勇気」を持てなかったら。どんなによくできた資料も
単なる紙の束に過ぎなかったはずだ。
6/23 2013
「Number 2012年12月20日号」
文藝春秋
◆心が震える99の言葉。
松田丈志 8月4日 ロンドンオリンピック男子400mメドレーリレー決勝。
(北島)康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない。
香川真司 7月1日 マンチェスターユナイテッド移籍
ビッククラブのプレッシャーを喜びに変え
自分のパフォーマンスを見せたい。
6/23 2013
「百万人の福音 2013年1月号」
いのちのことば社
◆いのちの砦 藤藪庸一
14年連続三万人が自ら命を絶つ日本。孤独と諦めの中で悩んでいる人は
私たちの周りに大勢いる。しかし、教会は彼らの受け皿として認められて
いないのではないか?イエスさまは悩みを抱えた者たちを拒絶されなかった。
出来る限り時間を割いて彼らの求めに応じられた。病を抱えた者には
憐れみをかけ、癒し、助けられた。罪びとを救うためにザアカイを尋ねていった
話は、助けるためには訪ねて行ってでも関わる模範を示しているのでは
ないだろうか?今、キリスト者は、困っている人たちがいたら助けようと思う
良心が問われている。悩む彼らに手を差し伸べる者になるかならないか。
共に彼らに希望を指し示すことのできる者になろうではないか。
6/22 2013
「信徒の友 2013年1月号」
日本キリスト教団出版局
教会共同体としての自覚と絆の回復を 石田学 日本ナザレン教団理事長
教会は数か質か、教勢か世に対する働きかといった
二者択一的な議論を耳にするたびに、奇異な思いを抱かせられます。
私自身の体験が、この二つを分けて考えること、まして対立的な仕方で
対比することの不自然さを証ししているからです。
6/22 2013
「REVIVAL JAPAN 2012年12月18日」
地引網出版
◆アメリカで拡がる日本人伝道の輪
大里牧師に若者に伝道するコツについて尋ねたところ、
「5F」をポイントにあげてくださった。5Fとは①食べ物food
②無料free ③楽しみfun ④友達Freiend ⑤家族的Family だ。
若者たち、特に日本人留学生たちは、この5Fのあるミニストリーに
集まってくる。
6/8 2013
「Ministry 2012年秋号」
キリスト新聞社
◆キリスト教主義学校のリアル
卒業生の本音
幅の違う改札を通るたびに「狭い門から入りなさい」という聖書の一節を思い出す。
同窓生とのカラオケでは決まって讃美歌をうたう。
6/8 2013
「宣伝会議 2010年11月1日号」
宣伝会議
◆自分はどう感じるか 「体感」」で消費する社会 宮台真司
BMWの前代デザイン統括責任者のクリス・バングルによれば
車のデザイン史は3区分できます。最初は船舶(フォード)。
次は飛行体(GM)。次は冷蔵庫(日本車)。冷蔵庫としての車に今後新興国が
参入してくる以上、先進国の車メーカーが生き残れるか否かは
プレミアムメーカーとして評価されるか次第です。そこでBMWが狙うデザインは
動物(鳥や魚)だといいます。プレミアムカー、つまり「特別な車」の理解は色々
あります。ベンツやベンツを目指した日本の高級車は「他人にいばれる車」という
理解です。BMWはベンツとの差別化の必要ゆえ古くから「Fun to Drive」
運転者の「体感」に照準しました。
6/8 2013
「kotoba 2012年秋号」
集英社
◆斉藤孝 自分の中に「日本語のプール」を作る。
私は精神の強さは自分の内側に蓄積されている言葉の量と質に深く関わって
いると考えています。現代人の心が折れやすく、傷つきやすくなっているのも
そのこととは無関係ではないでしょう。~素読で『論語』や『万葉集』『古今和歌集』
などを暗誦させられていた世代の人たちは、自分の中に不安や迷いが生じたとき
深い悲しみに打ちひしがれた時、心を立て直すためのヒントになる言葉を
ふんだんに身につけていた。それらが精神を支えていたのだと思います。
要するに自分の“日本語のプール”が非常に豊潤だった。私たちは心というものが
まずあって、言葉は心を表現していると考えがちですが、言葉がむしろ心を
誘導していることもあります。
6/8 2013
「AERA 2012年12月17日」
朝日新聞出版
◆サッカー元日本代表の中山雅史選手
いろんなゴールを決めさせてもらった。
その一つ一つが、僕の財産。
現役引退を表明。Jリーグで157得点の歴代最多記録を持つ。
記者会見では「まだ、未練たらたらです」と笑いを誘った。
6/7 2013
「AERA 2012年12月10日」朝日新聞出版 ◆インタビュー 羽生善治
それ(心や体で考えること)を学んだのは大山先生(故・大山康晴 15世名人)からです。
晩年の大山先生とは私も公式戦で10局ほど指してるんですけど、大山先生は手を読んで
いないんです。ただ見ているだけ。見ているだけで急所に手が行く。頭で考える
感じではない。非常に感覚的なものとして捉えている。だから、何を、どう思ってその手を
選んでいるのか、さっぱりわからない。衝撃的でした。大山先生のすごさです。そういう
ものは、先ほどとは逆に、年齢とか経験が生きる分野ですね。そういう領域みたいなものは
40代になったこれからは伸ばしていったほうがいいかなという思いはあります。大山先生
には、「1回目チャンスは見送る」という有名な言葉もあるんですよ。1回目のチャンスは
獲りにいってはいけない。「チャンスが来た」と思うこと自体が危ないということらしいん
ですよ。これも、とても感覚的で哲学的ですね。
6/7 2013
「Number 2012年12月6日号」
文藝春秋
◆欧州に生きる
★長谷部誠…(長谷部を干していたマガト監督が去って)、2軍を率いていたケストナーが
暫定監督に昇格することが決まると、ケストナーは長谷部にこう声をかけた。
「お前が頑張っていた姿を見ていたぞ。準備しておけ」
★清武弘嗣…(大分U-15)当時…当時も清武が一番うまかったです。上手い子の中には
上手くない子が周りにいるとふてくされるヤツもいるのですが、清武は違った。
むしろ、彼が来てチームの雰囲気はぐっとなったんじゃないかなぁ。(大分U-15長谷明治)
★内田篤人…怪我について…う~ん…。よくさぁ「ここは無理するところじゃない」とか
言うじゃん?ただ、「じゃあ、いつ無理すんの?」と俺はいつも思うんだよね。
無理するな、と。それは、確かに分かる。
6/7 2013
「AERA 2012年12月3日」
朝日新聞出版
◆現代の肖像 山本太郎
「いい役者になれる人なのよ、彼は」と北村(事務所社長)は言う。
「あれだけ繊細で震えているくせに大胆な一歩が踏み出せるんだから。
いつでも帰ってくればいい。ずっと待っているから。」
官邸前デモについて…どうですか、客寄せパンダの集客力は?
「マスコミ的には脱原発の山本太郎は飽きられている。もう色も出ないティーバック
ですよ。誰か新しい人に出てきて欲しい。」
何も出なくなってからでしょう、役者の見せ場は。そう返すと、山本は小さく笑った。
たぶんこれがノブコノセガレの顔なんだろうなと思った。
…彼は「母はぼくの師匠で同志で母親で友人」と呼ぶ。
6/7 2013
「REVIVAL JAPAN 2012年12月2日」
地引網出版
◆エンパワード21
ペンテコステ運動は、1906~1909年に起こったロサンゼルスの
アズサストリートリバイバルを発祥として全世界に広がった。
まず、ペンテコステ諸教派が形成され、20世紀半ばからはメインラインの諸教派をはじめ
カトリックにも異言を伴う聖霊のバプテスマの体験が浸透し
カリスマ運動として展開した。
この両者の総称が「ペンテコステ運動」である。
2012年現在で全世界20億人とされるキリスト者人口の約30%
6億1400万人がペンテコステ運動に属するまでになっている。
5/17 2013
「Associe 2012年12月号」
日経BP社
◆今、日本のいじめ問題はどうなっているのか 荻上チキ(評論家)
--よくいじめから逃げろという声が聞かれます。
その物言いには功罪があります。逃げてはダメだと思い込んでいる子どもに
伝えるなら、重要なメッセージになります。ただ、問題は、この社会には
逃げた後に行き場がないこと。教育を受ける権利を放棄し、履歴書の空白を
作るのは、本人にとってはリスクです。逃げろというなら、その後の
セーフティーネットを準備する必要がある。また、いじめの場から逃げたケースでは
他の対応をとる場合よりもいじめが長期化する傾向がみられる。とする調査結果も
あります。メッセージだけではない、より具体的な対応策が必要です。
5/17 2013
「AERA 2012年11月26日」
朝日新聞出版
◆現代の肖像 近江弘一 石巻日日新聞社代表
現在の購読部数は7500部。震災で多くの購読者を失った。
長年のファンは最も多く津波の犠牲者を出した沿岸部と旧市街に集中していた。
メディアのあり方を研究する慶応大学大学院教授の岸博幸は近江の活動を
ロオーカリストとして地域に限定してしまうのは早計だと話す。
ともすれば既得権益のど真ん中にいる50代のオジサンが、その外からだれも
成功させたことがないローカルメディアの再生に挑んでいることに意義がある。
若者は既得権益とケンカしてリノベーションを起こそうとするが、
本当は役人ともわたりあえる経験値と胆力のある近江さん世代の大人が
リスクを背負って日本再生の先頭に立つべきです。
5/16 2013
「Number 2012年11月22日号」
文藝春秋
◆前田健太 飢えたエースの存在証明
実績とまではいかないんですけど、この4年間、1軍で戦ってきて、やっと立ち位置も
上がってきたのかなと思います。1年だけ20勝しても一流じゃないし、4年続けて
10勝している人には絶対並べない。この世界続けることが一番大事だし、
続けて勝っていくからこそ、レベルも上がっていくんです。僕は1軍で投げられるように
なればそれなりに勝てると思っていましたけど(笑)、それはコントロールに自信があった
からです。どうやって投げても真ん中にはいかない。無意識に投げてもアウトコースに
いきますし、ストライクを取るとき、体がアウトコースで取るようになっている。
体にその形が刻み込まれているんです。
~。中学の時、僕、練習では永遠にアウトコースへ投げていました。~。ほんとです。
5/16 2013
「THE 21 2012年12月号」
PHP研究所
◆平常心をワザとして身に付けよ! 斎藤学 明治大学文学部教授
剣豪、宮本武蔵にまつわるちょっとした逸話がある。武蔵がある藩に招かれたとき
居並ぶ家臣団の中に、一人だけ気配の違う者がいた。「何か訓練でも積んでいるのか」
と当人に尋ねると、「とくに何もしていないし、剣の達人でもない」との答え。
だが続けて、その家臣は以下のように述べたという。
「ひとつだけ習慣にしているのは、寝る時に抜身の刀を天井から吊り下げることです。
それを聞いた武蔵は、藩主に向かって「これぞ、武士の心構え」と讃えた。
一歩間違えば、自分に刀が突き刺さる。そんな死と隣り合わせの環境に身を置いている
からこそ、毎日を精一杯に生きようと思えるし、いざという時にも死を恐れなくなる。
まさに「武士道といふは死ぬことと見つけたり(葉隠)」の世界である。
5/16 2013
「THE 21 2012年12月号」
PHP研究所
◆いち早くやって信頼残高を残そう! 小笹芳央 ㈱リンクアンドモチベーション社長
なぜ先延ばしにしてしまうのか?原因は二つ考えられる。
①想像力の欠如。改善のために時間の物差しと空間(視界)の物差しが必要。
②感情や気分に支配されている。改善のために、感情や気分はコントロール出来ない。
しかし、思考や行動はコントロール可能。思考や行動を変えるのに役立つ魔法の呪文は
「ちょうどよかった」と「これをきっかけに」という言葉。
先延ばししないだけで、周囲の信頼は高くなる。
5/16 2013
「AERA 2012年11月19日」
朝日新聞出版
◆100歳で元気はごきげんが鍵 日野原重明さん(聖路加国際病院理事長)
健康長寿の秘訣。①30歳の時の体重を保つ。②生きがいをもつこと。生きがいとは使命感。
私の使命感は命の尊さ子どもたちに伝えること。③新しいことを始めるのも大切。
◆現代の肖像 ヤマザキマリ(漫画家)
ともかくエネルギーが過剰なんです。何しろ、黙っていても鼻息が荒いというんで
小学生のときに付いたあだ名が「馬子」でしたから。~そのエネルギーを授けたのは
母の山崎量子だ。ヴィオラ奏者だった量子の口癖は「日本だけが世界じゃあない」
札幌交響楽団に入団するために知人も係累もいない札幌に移り住み、要請があれば
稚内でも香港でも、どこにでも軽々と出かけた。自分が行くはずだったヨーロッパ旅行に
行けなくなったとき、「代わりにあなたがいけば?」中学2年のヤマザキを一人旅に送り出した
5/16 2013
「文藝春秋 2012年10月号」
文藝春秋
◆渡辺和子 雑用はないⅡ
マザーテレサは、炊き出しをするシスターたちに必ず3つのことを実行するように
諭しておられた。パンとスープボウルを渡す時には相手の目を見て、ほほえむこと。
手に触れて、ぬくもりを伝えること。そして短い言葉がけをするという三つであった。
ロボットにはできない、人間の、他の人間に対する愛と祈りの表現であった。
5/16 2013
「文藝春秋 2012年10月号」
文藝春秋
◆渡辺和子 雑用はない
修道女になるために、ボストン郊外の修練所にいた頃のこと。
(修練長から) 突然、「あなたは何を考えながら仕事をしているのですか」
と問いかけられ、振り向くと、そこには厳しい顔をした修練長の姿があった。
「別に何も」と答えた私は、「あなたは時間を無駄にしている」と叱責され、
一瞬戸惑いを隠せなかった。命ぜられたことを命ぜられたことのようにしていたからである。
修練長は、そんな私に今度は優しくさとすのだった。「時間の使い方は、そのまま
命の使い方なのですよ。同じ仕事をするなら、やがて夕食の席に着く一人ひとりの
シスターのために、祈りながら並べていきなさい。
5/16 2013
「信徒の友 2012年12月号」
日本キリスト教団出版局
◆今年のクリスマスはこの歌で待ち望もう 小栗献
讃美歌21「闇も深まり」243番
アドベントの歌の多くは「闇」と「夜」を歌います。
アドベントは闇を見つめる時です。
そして、その中に到来する光を待ち望む時です。
この歌はナチスが支配する戦争と迫害の、暗く深い闇の真っただ中で書かれました。
作者のヨッヘン・クレッパー自身もユダヤ人女性と結婚したために不当な差別を受け
苦難の時代を生きる中で希望の詩を書きました。
5/15 2013
「百万人の福音 2012年12月号」
いのちのことば社
◆現代人の悩みに効く詩篇
ファニークロスビーという米国の讃美歌詩人は、生まれて間もなく失明しました。
母は必死に癒しを求めて祈りつつさまざまな手を尽くしましたが、かないませんでした。
祖母はそれに対し、「必死に祈っても主が与えてくださらないことは、あなたが
持たない方が良いことなのですよ。神はご自身の働きへと聖別するために
この子が盲目になるのを許されたのです」といいました。そして、ファニーは
人生の終わりに、「私は盲目であるがゆえに、いつもすばらしい夢を持ち続け、
また人の最も美しいまなざしを意識しながら生きてくることができた」と神に感謝しました。
実際、彼女の美しい詩の数々は、盲目であることを卑下することなく、神に愛され
守られているものとしての誇りをもって生きたのです。
5/15 2013
「Newsweek 2012年11月14日号」
阪急コミュニケーションズ
◆中国キリスト教徒の春はまだ遠く
米テキサス州を拠点とするキリスト教系人権団体チャイナエイドによれば
迫害件数は昨年42.5%増加。中国政府による拘束、有罪判決、虐待などは
5808件に上った。しかもそうした数字は「氷山の一角」にすぎない。~。
中国政府の統計によれば過去15年間でプロテスタントは60%以上、
カトリックは25%以上増加した。中国のキリスト教徒の大部分を占める
非公認教会の信徒を含めると、米国調査機関ピューリー・リサーチセンターの
推定で6700万人、一説では1億人を超える。
5/15 2013
「kotoba 2012年Winter Issue No.10」
集英社
◆昭和ですよ!
半藤一利 何よりも安保闘争でワッショイワッショイやっているそのときに、
会社説明会が行われていたのである。とくに6月15日は全学連の国会乱入と
そのさなかの樺美智子の死があった日なのである。~。60年安保闘争の後ろ側では
このように日本経済は既に景況を謳歌しつつあったようである。そして敗戦後に志した
文化国家・道義国家の国づくりの思想は雲散霧消というか、塵芥のごとく捨てられて
しまっていたのである。~。政治は信じられないが、零式戦闘機や戦艦大和を自前で
造った日本の技術の優秀さや有能さは信じられる。それは戦後だって変わらない。
池田首相がドゴール仏大統領に「トランジスタラジオのセールスマン」と揶揄されても
何を小癪なじゃあ作れるなら作ってみろ、と胸を張った。技術立国の誇りである。
5/15 2013
「REVIVAL JAPAN 2012年11月18日」
地引網出版
◆日本青年伝道会議 10代をどう育てるか 西村敬憲(西大寺キリスト教会)牧師
子どもたちを同労者として育てたいのなら、まず礼拝に子どもと一緒に出ること。
中高生になってから、急に大人の礼拝に参加するのは難しいので、
小学生からとにかくその場にいて一時間メッセージを聞くことです。
そして、牧師は子どものにもわかるような話をする。私は説教をするときに
小学校5年生だったら8割は分かる、中学生なら普通に分かる。
そのくらいの設定で話をします。
5/14 2013
「AERA 2012年11月12日」
朝日新聞出版
◆表紙の人 伊藤英明
強靭な肉体を誇る仙崎(代表作「海猿」の主人公)の印象からは意外だが
子どものころは肝臓を患う病弱な少年でした。小学校はつらい思い出が多い。
登校できたのは半分程度。運動会に出られず、給食も塩分の摂取制限が
あったため、シチューをお湯で薄めて飲んでいました。入院中、小児病棟で
親しくなった子供たちは重い病に侵されていた。昨日まで一緒に遊んでいた子が
突然亡くなるような日々。成長とともに体調は回復したが、死と隣り合わせの
子ども時代は、その後も心に影を落とした。
5/14 2013
「Number 2012年11月8日号」
文藝春秋
◆長友佑都 世界はもはや手の届くところにある。
ビッククラブ特有のプレッシャーの中で、自分らしいプレーが出来ないと悩んでいた。
そして、大切なのは心、メンタルだと気づいた。強いメンタルを維持するためには
自身を磨かなければならない。そのうえで高いレベルのチャレンジを繰り返すことで
初めて自信を得ることができるのだ。自信というのは自分が思っている以上に
身体を動かしてくれる。自信やモチベーション、志がマッチしたとき、
人はどれだけ成長できるのかを僕はこれまで学んできた。
精神的に安定していないと、フィジカルの強さも本来の技術も発揮できないから。
5/14 2013
「AERA 2012年11月5日」
朝日新聞出版
◆現代の肖像 小田嶋隆 コラムニスト
小田嶋は近隣の中学から秀才だけが集まる進学校に入学した。
小田嶋は勉強で勝負することを入学早々に放棄。岡康道(現 広告クリエイター)たちと
雀荘に入り浸りながら、サルトルやカミユなど高校生が読んでも全く意味が分からない
本を競い合うように読んだ。その時期の彼らの遊びが「作家の文体模写」だ。
岡は思い出す。文学好きが数人集まって、森鴎外とか太宰治の文体をまねして
書いて見せ合うんですよ。100円ずつ出して一番うまいやつが総取りというルールで。
だけど、毎回小田嶋が勝つから、あほらしくなってみんなやらなくなった。
意地で僕は最後まで続けましたけどね。
5/14 2013
「REVIVAL JAPAN 2012年11月4日」
地引網出版
◆日本青年伝道会議 聖書的世界観に生きる~職業編 山崎龍一氏
祈るのか働くのか二つに分けるのではなくて、真剣に祈って真剣に働くことが大切。
真剣に祈ったから、真剣に働いている、それが聖書のほとんどの人物なのに
私たちは祈ったらいいのか、就活したらいいのか、二者択一を自分から作ってしまって
どちらかが信仰で、どちらかがこの世だ、どんどん推し進めていく。
それでは聖書的な世界観には至らない、ということです。むしろ二つは一つ。
しかし、信仰をもって受け止める以外に一つにはなり得ないのです。
…御心を教えてくださいではなくて、御心を分かる人格に成長させてくださいと祈ろう。
5/13 2013
「サッカー批評59 2012年11月8日発行」
双葉社
◆ザッケローニを超える日本代表へ
世界のトップレベルの国々に対し、高い位置からプレスをかけて
ボールポゼッションでも互角に戦う攻撃的なサッカーを目指した時、
昨今の日本代表には必ず露呈する潜在的な弱点がある。
ボールを持ちながらも攻めきれず、相手のカウンターにやられてしまうのだ。
おそらくこれは永遠の課題なのだろう。
5/13 2013
「AERA 2012年10月29日号」
朝日新聞出版
◆中華と領土
最古の王朝「夏」。夏王朝を滅ぼし後を継いだのは「殷」です。
殷最大の発明は漢字のルーツ「甲骨文字」。それは今と全く異なる使い方を
されていました。殷は漢字を神へ伺いを立てる占いの道具として使い、
その際に生け贄として周辺部族の人々を大量に殺害しました。ところが、漢字は
あるときを境に劇的に使用法を変え、秘められた力を発揮するようになります。
節目にあったのは古代最大の天下分け目の決戦。殷との戦いに勝利した新しい
王朝「周」は漢字を他部族との「契約」に使用するという発想の転換をしました。
言葉の違う部族でも見れば意味が分かる「表意文字」である漢字は瞬く間に広がりました。
5/13 2013
「Number 2012年10月25日号」
文藝春秋
◆「プレミア最前線」ファーガソン×マンチーニ
シティ(マンチェスターシティ=サッカーチーム)がプレミアの優勝候補として
ダービーに挑むような時がくると思いますか?2009年9月18日。
マンチェースターダービーを2日後に控えた記者会見の席上、一人の記者が
アレックス・ファーガソン(マンチェスターユナイテッド監督)に問いを投げかけた。
サーの称号を持つ名将は身じろぎもせずに相手の顔を凝視し続けた末、
おもむろに席を立ち始める。「今、何時だ?そろそろお開きの時間だ」
質問が質問だっただけに、しょうがないという雰囲気がプレスルームに漂う。
だがファーガソンは、こう言い残すのを忘れなかった。「自分が生きている間はないな」
5/13 2013
「AERA 2012年10月22日号」
朝日新聞出版
◆「現代の肖像」山崎亮 コミュニティデザイナー
少子高齢化が進み、地域が過疎化する中でハコモノに頼らず、そこに暮らす人の
手ごたえがあるコミュニティをつくる。人が人を呼ぶまちづくりの手法…それが
コミュニティデザイン。すでに日本は2007年から人口減少のフェーズに入った。
2015年からは世帯数も減少する。労働人口は激減して圧倒的な高齢化社会になる。
それでもまだ新たな新幹線を敷き、ダムや道路をつくろうとする政治がある。
対して山崎たちの姿はポスト成長時代を生きる若者たちから旧勢力への意義申し立てだ。
アメリカではデジタルなソーシャルネットワークがニューフロンティアになったが、
日本ではアナログな「人と人の絆」に新たな光が当たる。
5/11 2013
「AERA 2012年10月15日号」
朝日新聞出版
◆「現代の肖像」飯田哲也 環境エネルギー政策研究所所長
飯田は好んで論戦を買って出るタイプで、様々な公開討論会をはじめ、テレビやネット
での討論会にも積極的に参加する。物腰は柔らかで決して声を荒げたりしない。だが
時折きわめて辛辣なことを言う。たとえば、民主党の理論的支柱ともいえる仙谷由人
や枝野幸男の「原発」「エネルギー」に対する昨今の姿勢について、「市民派と称して
いた彼らがあんなにぶれたのは、結局、根源的な知性にかけているから」とばっさり。
一方、枝野は「飯田さんは政治的に動きたがるけど、政治がわかっていない人」と評す。
そう指摘された飯田だが、「総選挙に出て欲しい。」という要請をすべて断り、いつ山口県
知事選が実施されても対応できる準備を整えつつある。「政治家になるというのは
『腐った中心』に飛び込む面白さがあります。ただし私は政治家である前に革命家ですから」
5/11 2013
「Number 2012年10月11日号」
文藝春秋
◆「最強打者たちへ」王貞治
もう限界かどうかを突き詰めるために…
そこを突き詰めることは、とことんまで練習してみるしかない。
いい結果を出してきた人は、ミスターにしても僕にしても、野村さんにしても
張本や落合にしても、やっぱり練習やってたよ。
なんとなく打てている人はいないんだ。イチロー君、松井君も目に見えるか
見えないかは別としてやっていることですよ。やらないで打てる人はいない。
ミスターは「オレほどバットを振った選手はいない」っていうけど、みんな自分が
一番だと思っている。(笑) やっぱり振っているんです。練習をやらないでクソ暑い夏
バットがちゃんと振れるわけがないじゃない。そうでしょ?
5/11 2013
「百万人の福音 2012年11月号」
いのちのことば社
◆「祈りについての名言・至言」
①祈りは神を変えず、祈る者を変える。(ゲーテ:ドイツの詩人、劇作家、小説家~)
②もっと軽い荷物にして欲しいと祈ってはならない。もっと強い背中にして欲しいと祈り
なさい。(セオドア・ルーズベルト:米国26代大統領) ③祈りは死なない。祈った人が
世を去った後にもその人の祈りは後に残って活動を続ける。(EMバウンズ:
南部メソジスト監督教会の牧師) ④祈りはクリスチャンの職業である。
(マルティン・ルター:ドイツの宗教改革者) ⑤あなたの祈りを、言葉の羅列で
終わらせてはならない。むしろ生活全体を神への祈りとしなさい。(シリアのイサク:7世紀
シリア正教会の聖人) ⑥ある種の思考は祈りである。身体の方がどんな態度を示そうと
魂の方が跪いている場合がある。(セーレン・キルケゴール:デンマークの哲学者)
5/11 2013
「中央公論 2012年11月号」
中央公論新社
◆「社長業15年目のチーム論」糸井重里
適材適所という考えについても、僕はかっちり決まらないほうが
いいと思っています。人が自分の専門だと思っていることって、実は怪しい。
「これは人に渡せない!」と思うものだって、大したことなかったりする。
そのことを社員には教えておきたいから、
「その仕事、けっこうほかの人にもできるんじゃない?」というムードは
常に作っておきますね。
~組織を健全なかたちで存続させるには、あえて組織を壊すようなことを
やらないとだめだと思います。そのひとつの手段が頻繁な移動です。p68
5/11 2013
「信徒の友 2012年11月号」
日本キリスト教団出版局
◆「不安を生きる」牧会者の使命
牧会者は、自分好みに固定された思考の枠組みにはまり込んで手っ取り早い安心を
得ようとするのでなく、リアリティーに触れ続けなければなりません。この社会の現実という
リアリティーに触れることのみでなく、むしろ聖書のリアリティー、生ける神のリアリティー、
まことの神でありながら、まことの人となってくださった主イエスキリストのリアリティーです。
この世の現実の中でそれに触れ続けることはアブラハムやイサクがそうだったように
「極度の精神的な緊張と触角の敏感さが必要」な、要するに不安に満ちたことです。
しかし、その不安に耐えるところから牧会は始まるのです。牧会者に今求められているのは
不安を抱えて生きることへと召されている
自らの召命にしっかりと立ち返ることではないでしょうか。
4/28 2013
「COURRiER 2012年11月号」
講談社
◆こうすれば、きっと「社会」は変えられる!
ノーム・チョムスキー(米MIT教授)
経済は金融化の方向に舵をきり、金融機関は恐ろしく肥大化しました。
金融業界と政界の持ちつもたれつの関係が強まり、年を追って金融機関に
富が集中していきました。シティ・グループは「世界はふたつの経済圏に
分断されつつある。『プルトエコノミー(一部の富裕層が富を独占する経済)』と
それ以外の経済だ」と述べています。
人々が歴史上はじめて未来への信頼を失ったのは、近年の(上記のような)変化が
もはや不可逆なものに思われたからに違いありません。
4/27 2013
「REVIVAL JAPAN 2012年10月21日」
地引網出版
◆日本青年伝道会議
大嶋重徳(キリスト者学生会)主事のメッセージ。
大切なことは、今自分たちに委ねられている若者を
自分が気に入る若者像に育てるのではなく、
彼らを尊敬し、感謝し、期待して信じて彼らの葛藤に寄り添うことです。
青年伝道に王道はありません。成長するには時間がかかります。
鍵は彼らとの人格的な交わりと関わりです。
4/27 2013
「pen 2012年10月1日号」
阪急コミュニケーションズ
◆大人のための藤子・F・不二雄
ドラえもんの生みの親…藤子・F・不二雄さんのことば。
結局、僕等は僕等自身を自作に登場させているのです。遠い少年の日の記憶を
呼び起こし、体験したこと、考えたこと、喜び悲しみ悩みなど…。それを核とし、肉付けし、
外見だけを現代風に装わせて登場人物にしています。
おもしろいまんがをかくコツは、まず作者自身にとっておもしろい作品をかくことです。
わたしは出身が幼児漫画ですから、徹底的に「セリフは簡潔でわかりやすく」と
仕込まれたんです。
藤本家の子供たちに最低、身につけて欲しいのは、硬直しない柔軟な考え方です。
4/27 2013
「ちから 2012年10月号」
(宗)フィンランド海外自由伝道教団京都教会
◆クローズアップ 岡田意さん
15回も繰り返えし隣接地を貸してもらえないか頼みにいったが地主さんに
断られ意気消沈。岡田さんは浅野川に行って祈った。祈る中で
「天においても地においてもいっさいの権威を与えられた」お方が
今いらっしゃると信じられた。地主さんは変えられると信じられるようになった。
帰ってきて、玄関に足を踏み入れたら教会にいた二人が「先生!」と
飛び掛かってくるように出てきました。「今先生の留守中に、地主さんが涙を
流しながら来られて『先生にお伝えください。あの荒れ地は明日からひかり
教育園の運動場としてお使いください。1円も使用料はいりません。
これは私のほんの気持ちです。』…こうして隣接地の使用が許可された。
4/11 2013
「REVIVAL JAPAN 2012年10月7日」
地引網出版
◆東京・新宿に24時間「祈りの家」富田慎悟牧師
「シーカーズ・センシティブ」と言って、求道者が受け入れやすい
礼拝のあり方を求めることも重要ですが、
わたしたちは「ホーリースピリット・センシティブ」というか、
聖霊が何をなさりたいのか、それを追及することが
もっと重要だと感じています。~
力で押し通そうとしたり、人間的な愛「ヒューマニズム」が先頭に
立つと神の箱がひっくり返る、主の臨在がなくなってしまうのです。
4/11 2013
「暮しの手帖 2012年10-11月号」
暮しの手帖社
◆アメリカン・フックド・ラグとは
19世紀の中ごろ、アメリカのニューイングランドで生まれた
アメリカン・フィックド・ラグ。まだカーペットがとても高価だったころ
麻袋などの目の粗い布に、リサイクルウールを編んで敷物にしたのが
その始まり。
フックド・ラグは、キルトとならぶアメリカの2大フォークアート。
フックは「引っかける」の意味で生地の下から、うどん状に切った
ウールをかぎ針で引き出し、ループを作って生地を埋めていくことから
そう呼ばれている。
4/11 2013
「週刊金曜日 2012年9月28日」
株式会社金曜日
◆高部知子 独占インタビュー
15歳のとき「欽ちゃんのどこまでやるの!?」のユニット「わらべ」の
長女役で人気を博す。~雑誌「フォーカス」に喫煙写真が掲載され
芸能界を離れる。これがいわゆる「ニャンニャン騒動」
これは作り話だった。「よくここまで更生したね」彼女が慶應義塾大学に
入学したとき、こうほめられたという。芸能界にいた30年近く前の
出来事と、今も結び付けて語られることがある。現在は精神保健福祉士
という国家資格をベースにした活動をしている。
4/4 2013
「AERA 2012年10月8日」
朝日新聞出版
◆現代の肖像 木村真三(科学者)
2011年3月12日に起きた、東京電力福島第一原発1号機の爆発。
放射能が拡散すると確信し、現場に飛んだ。現場主義を貫く科学者。
理想とする人物はいるのかと、何の気なしに聞いたら「田中正造です」
と即座に答えた。日本の公害の原点と言われる栃木県の足尾銅山
鉱毒事件を告発した政治家だ。鉱毒によって廃村となった谷中村の
住民とともに生きた。私利私欲とは無縁だった。「死に際がいい。
最後に持っていたのが聖書と石ころだけだったでしょう。」
4/4 2013
「AERA 2012年10月1日」
朝日新聞出版
◆山下達郎が歌い続けた伝言
立川談志さんは、落語の本質を「人間の業の肯定」と
おっしゃいましたが、
ポピュラーミュージックは、さしずめ「人間の生の肯定」
人の心に奉仕することが使命です。
危機の時代には、心に寄り添うような音楽が必要だと。
4/4 2013
「Number 2012年9月27日号」
文藝春秋
◆吉田麻也「人生で一番濃い夏が俺を変えた」
吉田はフェロン所属時代~相手にサンドバックのように
攻め込まれる自分のチームのことを
日本代表のメンバーに「最悪っす」と愚痴をこぼしていた。
その言葉を聞いた川島永嗣(GK)は険しい顔でこう言った。
「マヤ、おれたちは今いるところでやるしかないんだ。
お前がフェロンをダメだダメだって言っているのは、
フェロンを選択した自分自身を批判していることになるんだぞ」
吉田は目が覚めた。その後、人前でフェロンの悪口は言わなくなった。
4/4 2013
「東京人 2012年10月」
都市出版
◆山の手百名山
江戸時代の有力大名は、広大な池泉式庭園をしつらえる必要から
低地、平地に屋敷をかまえることが少なくなかった。
しかし、明治に入ると、有力者の多くは西洋流に南に開けた丘土、
つまり「山」のうえに豪邸を構えることが多くなった。
「高燥」の立地が好まれた明治の邸宅は「山の時代」だったのである。
4/4 2013
「百万人の福音 2012年10月」
いのちのことば社
◆宗教改革
宗教改革は1517年10月31日に始まった。
ルターが主張した福音の再発見は、
宗教改革に3つの大原則を導き出す。
①.「聖書にのみ権威を置く」
②.「救いはただ恵みによる」
③.「万人祭司」
4/4 2013
「信徒の友 2012年10月」
日本キリスト教団出版局
◆ソルジェニーツィン
強制収容所の政治犯たちは大木の伐採の重労働にあたっていました。
イワンもその一人でした。イワンは食糧として与えられた黒パンの十分の一を
神への捧げものとして残しておき、10日目に一個分に相当する量になると
これをまず神に捧げ、その後に、体が弱って労働ができなくなった仲間に
提供していたのです。
作家ソルジェニーツィンがソ連時代の強制収容所を舞台にした作品
『イワン・デニーソヴィッチの一日(新潮文庫)』で、自らの分身であるイワンに
様々思いを込めて描く様子が上記の記述。
9/28
「AERA 2012年9月24日号」
朝日新聞出版
◆ニホンカワウソは生きている!
かつて日本中にいたが、30年以上見つからず「絶滅種」に。
~「日本最後の秘境」といわれる黒部源流。標高3000メート
ル級の急峻な北アルプスの山々に囲まれ可憐なコマクサや
用心深いイワナなど希少な動植物が今なお、凛として営みを
続けている。この最奥の地を半世紀以上見続けてきた三俣
山荘の伊藤正一さん(89)が一昨年と昨年の夏、「雲上の
楽園」と呼ばれる雲の平らを歩いていると聞き覚えのある
不思議な声を耳にした。~沢を渡るカワウソの鳴き声だろう。
9/28
「文藝春秋 2012年9月号」
文藝春秋
◆日本には彼ら(軍人)の経験をケアする機能がない。
アメリカでは軍にチャプレン(教誨師)が必ず帯同して
何のために戦争するのか?心のケアをする。
日本の軍隊ではその担当を誰がするのか?上官。
でも、それができる上官ばかりとは限らない。
まさにそれが日本軍の組織上の欠陥。戦後、そのケア
機能を果たしたのが戦友会。戦友会の後半で、関係者以外
立ち入り禁止の時間を作って、そこで苦しみを吐きだし合い
記憶の共有がなされ…心の支え合いに繋がっていた。
9/28
「ゆるく考えよう」
イーストプレス ちきりん
◆ホワイトカラーならぬゴールドカラーの人たちとは?
自分で道を選ぶ人たちです。小さいころから他人とは違う
言動をほめてもらえ、突拍子もないことを言い出しても
応援してもらえる。そういう環境から彼らは育っていきます。
ある意味では「素直なよい子」と対極にある子どもたちの中
から、そういう人たちが出現するのです。
◆「よかった確認」という習慣があります。どんな絶望的に
思えることでも、その中に何らかの意義を見出し「よかったね」
と確認するもの…。
9/28
「韓国とキリスト教」
中公新書 浅見雅一、安延苑
◆韓国には「恨(ハン)」という概念がある。~「恨」とは、
小倉紀蔵によれば、理想的な状態、あるべき姿、いるべき
場所への「あこがれ」と、それへの接近が挫折させられている
「無念」「悲しみ」がセットになった感情であるという。~「恨」は
人生の長い旅路において、人間はどうしようもない運命に
翻弄され、さいなまれ、苦しむので、いつの日か結ばれた
心の結び目を解くことによって解消されるものであると
説明している。
9/24
「Number ワールドカップ戦記 1994-2002飛翔編」
文春文庫 スポーツ・グラフィック・ナンバー編
◆コンフェデ杯日韓大会2001で…なぜ日本は決勝に
進出することができたのか。人の数だけ答えがあるであろう
要因の中から、私はカナダ戦で見せた川口能活のセーブを
あげたいと思う。~2001年5月31日のビックスワンで見せた
川口のセーブは、大げさではなく、奇跡のセーブとされた
バンクス(1970メキシコワールドカップ イングランドGK)の
プレーに匹敵するものだった。彼は~地面にバウンドして
跳ね返って来たボールに対して反応したのである。
~GKのビックセーブは、試合の流れを一変させる。
9/24
「反ポピュリズム論」
新潮社 渡辺恒夫
◆北海道大学の宮本太郎さんの社会保障政策に関する
発言には刺激を受けた。~宮本さんのお父さんが
共産党の宮本顕治 元議長と知った時は驚いた。
終戦直前に共産党に入党した私は、「軍隊的鉄の規律」
を要求する体質に疑問を抱いて、明らかに当時の共産党
の綱領・政策に逸脱する社会民主主義的「東大新人会」
を作ったところ、これが分派活動にあたるということで
共産党を除名された。その時の査問委員会の議長が
宮本顕治さんだった。
9/16
「霊長類 ヒト科 動物図鑑」
文春文庫 向田邦子
◆沢庵や漬物を取る時、三切れは「身を切る」
一切れは「人を切る」として行儀作法上よろしくない。
ちなみにお刺身は七五三で盛る。奇数は見た目が良い。
◆新聞を大まかに三つに分ける。①「新聞」…読むための
意味をもつもの。②「新聞紙」…日付が変わったもの。
③「しんぶんがみ」…三日から一週間を経たもの。
◆時代劇の殺陣の名人 沢田政二郎は「人を切るときは
こいつにも母親や女房子供があると思って斬れ」と
いった。
9/16
「陰謀史観」
新潮新書 秦邦彦
◆幣原内閣(1945年10月~1946年5月)の外相として
マッカーサーとわたりあった吉田茂は、食料の緊急輸入を
米国側に餓死者が出るぞと脅しつつ成功させた。とはいえ
食料が届いたのは1946年5月。マッカーサーに「餓死者など
でなかったのを責められた吉田は、農林省の統計が不備
だったからと居直り、「きちんとしていたら無謀な戦争は
やらなかったし、(きちんとした統計を)やれば勝っていた
かも」と言い返し、マッカーサーを苦笑させた。
◆戦後五年間に来日した米国宣教師は2500名を超える。
9/15
「昭和のエートス」
文春文庫 内田樹
◆「断絶」を体験した世代とは1910(明治43)年から
1935(昭和10)年迄に生まれた人。つまり35歳から10歳の
あいだのどこかの年齢で敗戦を迎えた人々。この人たちは
敗戦で「ぽっきり折れる」…断絶を経験している。
それ以下の年齢の人は記憶が曖昧。それ以上の年齢の
人はぽっきり折れるほどにナイーブではなくなっていた。
~私が昭和人に数えるのは「断絶以前」の自分と
「断絶以降」の自分を個人的な葛藤として苦しんだ人々。
昭和人は二度と加害に加担しないという自制と恥辱の感覚が
強かった。
9/15
「新島八重 おんなの戦い」
角川書店 福本武久
◆新島襄と八重の結婚式は、京都に棲んでいる日本人
クリスチャンによる最初の結婚式であった。◆新島襄が
ハーディ夫人に書いた手紙…~もちろん彼女は決して美人
ではありません。しかし、私が彼女について知っているのは
美しい行いをする人だおいうことです。私にはそれだけで十分
です。◆八重は結婚式にのぞむにあたってディビィス邸で
洗礼を受けている。京都での最初の洗礼式。◆新島襄は
「狼狽するなかれ、グッバイ、また会わん」と残して死去。
明治23年1月23日43歳。
9/15
「体制維新 大阪都」
文春新書
◆20年間、「下り坂」の続く日本、人(政権)を替えても
仕方(政策)を変更しても良くならない。
これを救う道はただひとつ、体制(システム)を変えること。
日本は近代になってから2度「敗戦」しました。
1度目は徳川幕府末期、1860年代前半~。
2度目は太平洋戦争での敗北。しかし、どちらの場合も
日本は敗戦から立ち直って復活、敗戦前よりもずっと
豊かな国になりました。敗戦前の体制を維持しようとせず
まったく新しい倫理と体制を持った形に作り替えたから。
9/15
「あなたが変わるまで、わたしはあきらめない」
光文社知恵の森文庫
◆人間って本当に苦しかったら、文句を言わない。弱音も
吐かない。なぜかというと口に出したら自分が崩れてしまう
から。だから黙ってやる。文句を言っているうちはまだまだ
その人は余力がある。◆感動する人間を作らないと、人を
感動させることはできません。感動するというのは、心が動く
こと。心が動かない人間に人間にオーラは生まれません。
◆自分が下手なのに自分を変える勇気をもたないで上手に
なりたいなんて、それは無理。自分の感覚を変える。
自分を崩しなさい。
9/14
「財務省」
新潮新書、榊原英資
◆1990年代後半の大蔵省スキャンダルで
疑惑の対象となって退職に追い込まれた田谷廣明は
遊びっぷりが有名。豪快に遊ぶ彼の誘いを2回続けて
断ると田谷さんのリストから外されると言わせたほど。
当時は遊びを豪快に楽しむことができることこそが
大物の証しという雰囲気があった。そんな彼は
「戦艦大和、伊勢湾開拓、青函トンネル」は昭和の
三大バカ査定」と言い切って、政府予算の無駄遣いを
戒めるように政治家に直言したこともある肝の太い人物。
9/14
「ハーバード白熱日本史教室」
新潮新書、北川智子
◆No proof needed;your possibilities are ∞.
証明などいらない。あなたの可能性は無限大。
◆ハーバード大学 キューと呼ばれる教師通知表評価項目
1.Course Overall クラス全体の総合評価
2.Materials 資料について
3.Assignments 宿題について
4.Feedback 教師からのフィードバックの有用性について
5.Section 講義以外の時間(小グループ等)について
9/14
「日本人アスリート名語録」
PHP文庫、桑原晃弥
◆誰か一人が欠けてもダメなんだ。田中将大
彼は引退した部員の飲酒が発覚し~崩壊寸前に陥った
チームを必死でまとめる。ポジションごとにいる副主将や
「やめたい」という選手一人ひとりと話し合った。その時
言い続けたのが、このことば。~ついに一人も辞めることなく
2006年夏の甲子園では決勝再試合の激闘を経て準優勝。
◆今の年齢はマイナスだけでなく
多少アドバンテージもあるかなと。クルム伊達公子
2008年現役復帰した。40歳を既に超えている。